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20260517

2026/05/17

午前、執筆なし。モニターに向かいエディタを開くといっさい書きたくなくなった。ここから始めるのかという気持ちになった。「ここから」というのが具体的にどこなのかは自分でもよくわかっていないのだが、書きかけのファイルを開いた瞬間、その「ここ」が途方もなく重く感じられて画面を閉じた。諦めて読書に切り替えた。気がつけばもう外出しなければならない時間で、本のページを閉じ家を出た。書かない選択をした朝は、書けなかった朝とはまた違う後味を残す。書かないと決めた瞬間の軽さと、決めたあとに少しずつ滲み出してくる薄い罪悪感のようなもの。それを抱えて駅まで歩いた。

ここ最近の、どうしても書きたくないという気持ちはいったいなんなのだろう。しっかりとした長編プロジェクトがあったら、また話は変わるのだろうか。長編、というか、なんでもいい、自分のなかに「これを進めなければならない」というかたちの明確な対象があれば、断片的に思いついたことや今日の気分をそこに流し込めばよくなる。今は、ただ書きたくない、と書きたい、のあいだに具体的な受け皿がない状態で宙吊りになっている。一ヶ月前は書きたかった。あのときと何が違うのかと何度も考えるのだが、決定的な違いは見つからない。読むことは楽しい。最近、平岡正明から派生して竹中労の名前が気になりはじめていた。

労働中、終始、変な違和感を抱いていた。なんらかのアウトプットに集中したいといういらだち。頭のどこかに小さく舌打ちをするような部分が常駐していて、こんなことをしている場合ではないと無意味に急かしてくる。何かを「外に出す」動きが今日は欠落していて、その欠落が労働の時間を妙に長く感じさせた。生産しないと不安になるという構造は健康ではないのだろうが、その不安の手綱を完全に手放すこともできない。

最高気温は28度だった。半袖で過ごすかどうか迷ったが長袖にしてよかった。そこまで暑くはなかったし、夜は寒かった。この程度で「暑くない」と思ってしまっていることに、自分で少し驚いた。だいぶ今の気候に手懐けられている。

帰宅後、スムーズに本が読めた。ここしばらく集中の途切れがちな読書ばかり続いていたので、ページが進むこと自体がささやかな祝福のように感じられた。一時間ほど続けて読みコーヒーを淹れにキッチンへ立った。その時間が今日のなかでいちばん落ち着いていた。しかし、やはり書けはしない。読めば書けるようになるというような単純な変換はもう自分のなかでは起きない。読むことと書くことは地続きであるどころか、ときどき互いに排他的でさえあるような気がした。読みすぎている日は書けないし、書けている時期は読めていないことも多い。バランス、というよりは、シーソーのようなもの。今はシーソーの片側にだけ重みがある。

犬がリビングでひたすらヒステリックに吠えていた。断続的に、しかしかなりの音量で、まるで何かを訴えているような吠え方が続いている。誰かに何かを伝えようとしているのか、それともただ吠えることそのものが目的になっているのか聞いているこちらにはわからない。

「サイトスペシフィック」という言葉が頭に浮かんだ。特定の場所のためにだけ作られて、その場所から切り離されると意味を失うもの。どこにでも届く言葉ではなく、その場所のためだけに書かれて、その場所でしか機能しない言葉。だが、そういう言葉を書こうとして書けるものではないことも、わたしは知っている。書かない、と決めた朝に、書きたかった文章のことを考えている。

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