20260721
混乱をきたしている。もはや自分は、考えているのか考えていないのかわからない。考えていないとは、つねに思っているし、そんなことをずっと思ってきた。考えているという状態が、いっこうにわからない。本などを読んでいて、言葉があまり出てこず、読んでいるとき(これは音楽でも映画でもアニメでもその他媒体でもそう)はたいへん楽しいのだけど、ふと空白の時間や、読み終わったあとに、言葉が出てこないことに気づく。
あれはなんだったのだろう。そもそもあれを読んだのに言葉が出ていないということは、面白かったり、興奮したのに、言葉が出てこないということは、いったいどういうことか。
陳腐なことを考える。それは「自分の言葉」という観念だ。「自分の言葉が出てこない」という文言が頭に浮かんだ。すぐさま疑わしい気持ちになってきて、何もさし示してはいないと思ったけど、とにかくそれに近いことなのだ。感想が出てこないということだろうか。どうしてみなそんなにまとまった単語が文章となって出てくるのだろう。
あらゆる媒体には終わりがある。終わりがきたら、すぐ次に行ってしまう。というか毎日、あまりに数が大なので、毎日がはじまりのようになっているのが混乱の原因なのかもしれないけど、これをやめることはほとんど無理だ。自分を律することは不可能だ。たとえば1日に1冊とか、たぶんできない。
『勉強の哲学』に勉強ノートをEvernoteのようなアプリでつけるべきだと書かれていた。『勉強の哲学』には書いていなかったとは思うけど、どこまでやったか、日付をつけて可視化すべきだといっている。よく眼にする、ツェッテルカステンというメモの管理システムも連想する。今、自分に必要なのは、このような方法論かもしれない。なんだかツェッテルカステンってネット上の記事ではうまくいかなかったとかよく見るけど、今の自分に必要なのは、感想を書くことではないのではないかということ。
気温が35度。他県では40度を超えているところもある。日中、出かけなければいけないけれど、本格的に、外に出るときは、地獄に飛び出すのだ、という気持ちになって出ることになるかもしれない。暑さのピークがここ2、3日きて、そのあとはもう少しおとなしくなるらしいけど、どうか。