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貸し借り

 彼は少し身構えるような気持ちで、文庫本を手に取って、教室の外へ出た。
 向かう先は、トイレのすぐ横にある、自動販売機が3台並んでいるあの突き当たりの空間だ。狭いため、いちばん最初にそこへ訪れたグループが自動販売機の前を占領するようなかたちになる。ほかにも自動販売機は校舎のなかに、いくつかあった。わざわざここに来なくてもよい。みながみなここに殺到するわけではない。
 彼は予想通り、自販機のすぐそばに、彼女の姿を見た。
「やあ」
 と彼は声を出した。
 なにやら彼女は、考え事をしているようだった。壁にもたれて座っていたが、彼のことを見るとやがて立ちあがった。
「この前借りた本、返すよ」
 彼は文庫本を差し出し、手渡した。
 彼女はいかにも、上の空というかんじに見えた。
「読んだの?」
「うん、読んだ。後味悪いね」
「最後、ひっかかったでしょ」
 彼は思ったよりも感想をうまく伝えられないことに気づいた。
「ちょっとびっくりしたな」
 そのとき、後ろから声がふりかかった。
「そこにいたのかやっぱり」
 彼は振り向き、声の主を確かめた。B組の佐久間であった。
 図体がでかく、肌は日に焼けていて、耳にはピアスがついている。彼と佐久間は知り合いの知り合いといったかんじで、知らぬ仲ではないけれど、そんなに喋ったことがあるわけではなかった。
 彼女は佐久間に向けて喋りだした。
「うん、昨日のことで、どうしようかと思ってて」
 佐久間は彼女の隣に行って、壁にもたれるような格好をした。彼は正面からふたりのことをながめていた。
「でも、あれはおれたちだってわかっていないよ」
 彼は会話に割って入るような気持ちが起こらなかった。
「目があった気がするんだけど」
「見られていたとしても、おれたち、なにもいわれてないじゃない」
 佐久間は目の前に立っている彼のことをどうとも思っているわけでもなさそうだった。その点、表情は、彼女と同じような表情であって、真剣そのもののように見えた。彼はふだんの佐久間のようすを知らなかった。彼はその場から動くことができず彼女のことを見ていた。
「杉本がさあ、なんか職員室に入って行ってるのを見て」
「じゃあ、ばれたのかな」
「私たちも呼ばれるのかな」
 いったいなにをしたんだろうということに思いを馳せていた。制服のままどこかに寄ったのだろうか。彼女は滑稽なぐらい不安そうな表情を浮かべていた。そんなことぐらいでは物怖じしなさそうな、佐久間まで視線が一点に定まらないのを見て、内容は気になったが、絶対にここで気さくな感じで「何をしたの?」と聞くまいと思っていた。
 佐久間は、目の前にいる何も喋らず話を聞いている自分に、何か思うことはないのだろうか。あるいは、喋りかけないのだろうか。
「意味がないよ」
「どうってことない」
 休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。彼は教室に戻った。授業がはじまるころには、さっきの自動販売機の前でなされた一連のやりとりも、そもそも彼女に借りた文庫本のタイトルさえ忘れていた。

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