石鹸
毎晩、売り物ではない石鹸を、陳列棚に置いていく老女がいた。
夜間の品出し担当の西澤は、その石鹸を何度も発見している。生活関連品の売り場にあればまだましだけど、飲料コーナーや、菓子パンが並んであるコーナーにも置いてあった。ひどいときには生鮮の売り場に置いてあることもあった。
個数も1個ではなく、3つ4つ置いてあることもあった。
場違いな売り場に鎮座しているその裸の石鹸を見ると、西澤はばかにされている気分になった。石鹸は、パッケージに入っている状態ではなく、素の状態である。
わざわざ調べたくもないので、何の種類の石鹸かは知らない。
今日も西澤は石鹸を見つけた。
西澤は事務所に行って、副店長に報告した。
「まただねえ」
と副店長は言った。こんなもの手渡す必要もないのだが、なぜか渡してしまった。副店長は手渡された石鹸をすぐにゴミ箱に入れた。
「出禁にしないんですか」
と西澤は言った。
「次やっているところ見つけたら、現行犯だね」
と副店長は言った。
西澤は下の階におり、ちょうどバックヤードで作業している彼よりもふた周りも年下の高校生に話しかけた。
「またあったよ、石鹸」
しゃべりかけられた高校生は、ぎょっとした顔で振り向いた。スマートフォンをいじっている。
「せ、石鹸ですか」
「ほら、毎晩棚に売りもんじゃない石鹸置く人いるじゃない」
「毎晩でしたっけ?」
その学生は、週に2回の出勤なので、よく知らないのかもしれない。
「今日はおれが見つけたよ」
「そうですか」
「次、見つかったら出禁だってね」
「なんか自分、一回見たことあるかもしれないです」
「前に見たことあるんだけどさ、ちょっとおかしい感じの人のようにも見えたんだよな、ボーッとしているおばあちゃんにも見えたけど」
次に何を言おうか思いつかなかったので、西澤はその場を離れた。
翌日、西澤は犯行現場を目撃した。カップラーメンの売り場で、例の老女がズボンのポケットから石鹸を取り出したのを見た。
ふつうであれば、すぐに副店長を呼びに行かなければならない。副店長は、すぐそばの生鮮売り場で、温度管理表に何かを書き込んでいた。
副店長はこちらに気づいてはいない。
西澤は早足で老女に近づいた。客に注意するようなとげとげしい口調になってはいけない、と頭のなかでくりかえした。それは職業倫理ではなく、聞きたいことを聞けないほど、警戒されては台無しになるためだ。
「すいません」
老女は西澤の方を向いた。目がほとんど開いていない。
西澤が話しかけたときには、石鹸はすでに棚に置かれていた。
「そちらの石鹸、なんで棚に置いていくんですか? いつも」
単刀直入に聞いてみた。
「石鹸」
老女は西澤の言葉を意味もなく復唱した。
「そう、石鹸」
「今日でね、1ヶ月経つの」
「はじめて石鹸を置いた日から、きょうで1ヶ月ってことですか?」
「いいえ、夫が死んでから」
「はい?」
「夫が死んでからひとつき経った」
「ええ」
「だから毎日買い物にきてるのよ」
「ええと……」
「ねえ、あなた歳はいくつなの」
西澤は自分の年齢を言った。
「あなた、意外と歳いってんのね」
と言って、急に笑い出した。笑っているときの顔が中心に寄っていてくしゃくしゃに見えた。そのあと、レジの方を指差して、
「あの子」
と老女は言った。指差した先には、つい1週間前に入ったばかりの新人の、大学生の子が見えた。
「あの子と結婚しなさい」
老女のさっきまで閉じられていたかに見えた瞳が開いていた。西澤の両眼をまっすぐ見つめていた。
「あの子と、結婚するのよ」
と言うと、西澤の手をとって、両手で握った。まるで何かを託されているような感じだった。
言うだけ言うと、老女は背を向けて、通路を右に曲がり、そのまま出入り口に向かっていった。
西澤は老女の背中をぼんやりと見つめていた。声をかける気になれない。ふと、後ろを向くと、副店長がこちらを凝視しているのが見えた。二人の目線は一瞬だけ交差したが、無表情に副店長は目を逸らしてバックヤードへと消えていった。