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保坂和志『鉄の胡蝶は』。ざっくりとした方向性は自分と全く合わないと感じる。未明の闘争以降だと『読書実録』が好きだけど、この小説は好きじゃない。きらい。それでも1日1回30分ぐらいは読みたいという気持ちが湧く。すべての部分が嫌なわけではなく、部分部分あーいいなと思う箇所は訪れる。だけどそのような、好きになれるような瞬間は今までの小説に比べてひじょうに少ない。だからダメだというわけではないんだけど、感じ悪いと思う。この小説は保坂和志が好きな人しか読まなさそうと思うし、これを小説として発表する意味ってなんなんだ? 自分が思う「小説」の捉え方がずれていっているのか? なんで文章は自由である必要がある? そんなことを考えても、仕方がないのかもだけど。
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ネガティブなことを書いたので何か別のことを書きたいが、こういうときに限って他に書くことがない。とにかく今日の労働は動き回ってくたびれたなあということぐらいだ。思ったよりも手こずった。しかし悪い後味を残さない疲労である。入浴後、スムーズに本を読むことができた。