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調査

 中山は団地の設備調査を請け負う臨時職員だった。白山という年上の作業員とペアを組むようにといわれた。
 白山は、貯水槽の影をチョークでなぞっていた。影が数センチ移動すれば、新たに何かを書き込んだ。線は図形のようなシンボルを形成しているかに見えた。意味があるのかわからない。
 ただ、中山は、白山に、その動作にどんな意味があるのかを聞くことができなかった。とくに自分が動かなくても、白山が動いてくれると思った。この人は自分がすぐそばで、静かに佇んでいても注意してくることはない。必要があれば、具体的な指示があるはずだ。そして、怒られるにしても、指摘があってから動けばいい。何もいわれていないから、何をすればいいのかわからなかった。
 それにしても今自分が何をしているのかわからない。
 中山は記録用の巻き尺を置いて白山に近づいた。
 白山は急に話しかけても怒らないし、その会話の内容が業務と無関係でも怒らない。
「白山さん」
「ん?」
「昼はどうします」
「うーん、何も持ってきてないから、すぐそばになんかあればなあ」
「自分も弁当は持ってきてないですね」
「食堂とかあっただろう」
 中山は、白山とお昼ご飯を食べたいわけではない。なぜかそんなことを聞いてしまった。
 ぜんぜん指示もないし、ぶつ切れに中山は会話を投げつけたが、返答もまた短く、長くは続かなかった。白山は、ずっと地面に線を描いている。
 次第に動きは俊敏になり、うさぎのように飛び跳ねながら、軽快に線をまたぎ、中腰で新たな線を書き入れていった。
 そのようすを見て、中山は笑いをこらえていた。
 たしかにクスクス笑う声が聞こえているはずだけど、白山は線を描くのに夢中だ。
 跳躍力はどんどん高まり、動きは激しさを増した。
 動きが激しくなるにつれ、中山は笑うのをやめ、ハッとした表情で白山の職人芸を見つめる。
「アッッッ!」
 と中山は、突然、大声を出してしまった。白山が、危険な場所に近づいていたからだ。屋上のへりに近づいていて、柵がないので、このままいくと転落してしまうのが目に見えている。
「白山さん!!あぶない!!」
 とせいいっぱい叫ぶ。
 前が見えているはずなのに白山は、そのまままっすぐ突進していって、なにもない空中へと飛び出した。
「ア——」
 白山は真っ逆様に落ちていく。中山はすぐ、屋上のへりに駆け寄った。そしておそるおそる、下の方を向いた。
 白山は、落ちてなどいなかった。団地の外壁に張りつき、垂直の壁面をぴょんぴょんと跳ね回りながら、そこにまで線を書き入れていた。三階と四階のあいだに、地面と同じ図形が描かれつつあった。
 こんなにも人間離れした動きを目の当たりにするなんて思いもしなかった。何も説明してくれなかったのは、「職人の技は言葉じゃなくて見て覚えろ」という意味なのだろうか。あるいは説明するほどのことでもないのか。自分もそのうち、ああやって動けないと、この仕事は務まらないということなのか。背中でやり方を見せてくれているのかもしれない。
 中山は奮起した。黙って見ているだけではなくて、自分もなにかしなくてはならない。やってみれば、できるはずだよと、今までできないと思っていたのは、自分で限界を決めているからに他ならない、やってみて初めてできることに気づくのだ。やってみるしかない。やってみよう。中山も見よう見まねでうさぎのように跳躍し、なにもない空中へと飛び出した。
 が、中山は、手足をバタバタさせながらなにもできず、そのまま地面へと落下していった。
 どうすることもできず、頭から地面にぶつかって、割れた頭部から脳漿が飛びちった。飛びちったさきが、ちょうど白山の描いた線の内側だったので、図形が完成したように見えた。
 白山は一足飛びで、屋上へと戻っていった。
 中山の姿が見えないので、ああもう帰ったのかなと思って、事務所に連絡を入れて、直帰して、ああ今日の晩飯は何にしようかなとか、考えているのだ。下の階では、住民が窓から顔を出して、壁に描かれた線を見上げ、これは点検の跡だと納得している。

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