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ダイナー・オメガ

※本作はGoogle AI studio - Gemini 3.1 proを使用しています。


 空には毒々しいチェリーの色が広がっていてわたしらの乗るキャデラックは、溶解寸前のマシュマロみたいなアスファルト上を時速200キロで滑空していた。
 計器盤に接着された合成樹脂製の首振り救世主、プラスティック・ジーザスがカーオーディオから流れる安直な合成音楽に呼応して、首振りをくり返していた。助手席に座すクロエは、蛍光色の風船ガムを限界まで膨張させつつ少しずつ透明になりかけていた。
「ねえ、エメット」
 と、ガムがパチンと弾ける音のあとに彼女が言った。
「私の左腕、もう向こう側の景色が透けてるんだけど」
 彼女の上肢が砂嵐のごとく明滅していた。
 わたしはノイズの向こう側に荒野と、巨大なドーナツの形をした看板を透けて見た。
「シートベルトはしておけや!」
 とわたしは叫んだ。
「完全にピクセル化して風に飛ばされたら、拾い集めるのに骨が折れるよ」
 そういえばクロエは「私のことはモーピー・ディックって呼んで」と言った。あだ名を指定してきたのである。とりあえずわたしはそのあだ名で呼んだり呼ばなかったりした。いや、呼ばないことの方が多いかも。何か間違えている気がしたし、恥ずかしい感じがするからであった。彼女と出会ったときそう言われたことを鮮烈に覚えていた。なんだコイツ? と思ったから。
 わたしらは世界の果てに向かってドライブを続けていた。政府は突然「定額制配信契約(サブスクリプション)は満了を迎えました」というスパムメールみたいな緊急放送を流した。
 磁気録画媒体(VHS)が天上より降り注ぐ異常気象の発生。気象庁・天気予報士は予測できなかった。わたしは、もといわたしだけでなくみんなそうなのかもしれないけど、政府の迷惑この上ない緊急放送の日から、夢でも見ている気がする。なんで今まで現実に生きていたはずのに、目の前がこんな不確かな光景に変わってしまったんだろう? それも突然。足元に大きな穴があいて奈落にでも落ちているようなイメージに囚われていた。誰も信じられない。わたしの不安を埋められる存在はクロエしか思いつかない。今わたしはどう生きればいいのかわからなかった。
 最大の問題はクロエのごとく「解像度」が著しく低下し、形骸化を辿る人間が続発している事実であった。
 ハイウェイの路傍に『ダイナー・オメガ:最後の晩餐とチェリーパイ』という極彩色ネオン看板の威容を見てとった。わたしはブレーキを踏んだ。タイヤが悲鳴を上げてピンク色の土埃が舞った。
 ダイナーの中は80年代のミュージックビデオをミキサーにかけて混濁させたような感じであった。床は白黒の市松模様でジュークボックスからは存在しないはずの架空のバンドが歌う、感傷的なバラードが流れており陰惨な気分にさせられた。わたしはバラードが嫌いだったしクロエもあんまり好きじゃなかった。
「ご注文は?」
 と、合成音声が響いた。
「ブルーベリー・パンケーキを二つ。あー、あとコーラ」
 とわたしは言った。
「星屑のミルクセーキ? これにして」
 とクロエは言った。
 自動給仕が持ってきてくれたパンケーキを口に運んだら、市民プールの塩素の匂いと、初めて自転車に乗れた日の午後の日差し、死んだ飼い犬の冷たい鼻先の感触がフラッシュバックした。
 大量生産されたノスタルジーの味。
 わたしは顔をしかめて胃に流しこんだ。
 彼女の身体はすでに3分の2ほどが半透明のホログラムに変貌しており、わたしはなにをしたらもっと事態がましになるのかを考えながら、なにをどうしたらいいかもわからない状態から出られなくて虚脱した。思考がとまった。
 クロエは哀愁をおびた眼差しで凝視してきた。
「ねえ、エメット」
「なに?」
 わたしは自分のかすれ声に驚いた。
「自分たちが完全にデリートされたら、どこに行くのかな。クラウドのゴミ箱? それとも、誰かの夢の中?」
「わからない。巨大なサーバーラックの中で、永遠にスパムメールの仕分け作業をさせられるのかも」
 クロエは少し笑った。笑った拍子に右肩が光の粒子になり中空に溶けた。
「出発しよう」
 とわたしは言った。
「日没までに世界の縁(エッジ)に着きたい」
 わたしは目的を果たせばこの異常な状態を食い止められると思い込んでいる人を演じるしかなかった。それはクロエだって同じことだ。平気なふりをしなければならない。エッジに行ってなにをするのか? エッジにはなにがあるのか? 奇跡的になにかがあったとしてわたしはなにを変えられるのか? 答えは出したくない。わたしらに必要なのは目的だった。奈落に落ちないための目的だった。目的そのものが空っぽでいいはずがない。そんなことをしても何にもならないから。それでも、わかりきっていることはお互い口にしてはいけない。
 空はもうチェリーの色からテレビの放送終了後のような完全なブルーバックへと変わりつつあった。
 ダイナーを出て、再びキャデラックを走らせた。
「ラジオをつけて」
 とクロエは言った。
 ひどく甘ったるくて荒唐無稽なラブソングが流れてきた。わたしはアクセルをさらに強く踏んだ。
「なにを話したらいいのかわからなくなってきた」
 とクロエは言った。
「無理に明るくしようとしなくていいけど」
 とわたしは言った。
「していない。疲れるから」
「大丈夫?」
「何が?」
「体の調子は」
「元気ではある」
「エッジってどういう場所だろう」
 とわたしはつぶやくように言った。
 うーん、とクロエは少し考え込むと頭をぽりぽり掻いて、
「通りを歩けば、すぐ夢中になってしまうような場所」
 と言った。
 わたしはよりいっそう絶望的な気分になった。まっすぐの道が気が狂いそうになるほど続いていて、それだけでもう不安であった。

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